根源的で圧倒的

ラカンの仕事のなかでは、構造に異議を唱えるものは二つある。主体と対象、欲望の原因としての対象αである。ラカンが初期の仕事においては現象学的な概念から出発しつつも1950年代には、主体を言語ないし法である他者に対してとられるひとつのポジションとして定義していることである。つまり主体とは、象徴的秩序との関係である。自我が想像的領域の観点から定義されるのに対して、そのような主体は、本質的に他者に対する位置どりなのである。他者についてのラカンの考えが進展するにしたがって、主体は、他者の欲望(母の欲望、親の欲望、あるいは両親の欲望) に対してとられるひとつの構えとして概念化され直す。この他者の欲望は主体の欲望を喚起する、つまり、対象αとして機能する。極めて図式的な観点からラカンの理論の進展を追うと彼は、フロイトの最初期の仕事や自身の精神分析実践からますます影響を受けながら、主体がそれに対してひとつの構えをとる何かを、快感・苦痛ないしトラウマの原初的経験とみなしはじめる。主体は、フランス語で享楽と呼ばれる根源的で圧倒的な経験に引き寄せられつつも、それに対して防衛するという仕方で生起するのである。